名刺の原型 Carte de visite

先日、イギリスから興味深いアンティーク写真を仕入れました。

Carte de visite / CdV(英語では’visiting card’)という、1860年代に流行した名刺の原型のようなものです。

ヨーロッパの上流階級の間では18世紀頃から自分の名前が印字されたカードを交換することが社交上の重要なエチケットでしたが、
19世紀半ばに写真が登場すると、そのカードに自身や家族の写真を添付して交換し合うことが流行ったそうです。

Wikipediaによると、有名なダゲレオタイプ(銀板写真)やその改良技法の写真湿板でも写真黎明期の技法は直接ポジ画像を得る撮影方法でした。

ネガから複数のポジ画像を複製する技術はまだなく、写真はオリジナルただ一点のみが撮影される、高価で頒布性のないものでした。

フランスの写真家 アンドレ・ディスデリ (André Adolphe Eugène Disdéri) は複数のプリントを安価で提供することに需要があることに気づき、1枚の写真乾板に複数のポートレートを撮影することでコストを削減する方法を考案しました。

ディスデリが発明したカメラでは一度の撮影から4枚~8枚のポートレートを現像することが可能になったそうです。

Carte de visite – Wikipedia

撮影技法は卵白と硝酸銀を用いる鶏卵紙技法が用いられました。

写真サイズは小さくなってしまったけれど、単価が下がり複製を頒布することが可能になったおかげで、名刺カードに貼りつけ友人間で交換することが大流行したそうです。

これがCarte de visiteで、今で言うところのトレーディングカードとか、ソーシャルメディアにも匹敵するものだったのでしょう。

その流行っぷりは今でも安価で手に入ることで推して量れます。

eBayやEtsyで手頃な値段で買えるので、庶民でも手を出しやすいアンティークコレクションにいい感じ。気になる方は是非調べてみてください。

さて、今回は3枚のCdVを買いましたが、この中で最も古いのは右側のものでしょう。
エンボス加工された厚紙に写真が貼りつけられ、恐らく写真スタジオのものであろう名が刻印されています。
裏面は無地で、他の2枚に比べてやや小ぶりな仕上がりです。

「マウント」と呼ばれる写真の台紙はこちらのサイトによると、1860年代までは角が四角く、1870年代に入って角が丸く落とされた共通フォーマットが確立されていったようです。
左側の2枚はそうした共通フォーマットが普及した以降のものでしょうね。

初期のCdVは規格が統一されていないため、サイズがバラバラで紙の厚みも薄めで、角が落とされていない。これが年代を判別するコツだそうです。

CdVのマウントが共通フォーマット化してからは、裏面が写真スタジオの広告になることが多かったようです。

それぞれに美しいデザインで店を宣伝していて、私はむしろ裏面の広告芸術の方が観察の価値があると思って買ったほどでした。

サンセリフのモダンなフォントが適宜使用されていたりして、時代の世相を映す鏡であるフォントを考察するのにとても興味深い対象です。

そしてまあ、子供たちの愛らしいこと。きっと上流階級の家庭で我が子を友人・知人に紹介するために撮影されたものなのでしょう。

家の当主であろう男性のCdVももちろん多いのですが、女性や子供を撮影したものが結構多く残されていることに、男性以外の家族の地位向上が進んだ時代背景を推察することができます。

特に子供という存在は、ヨーロッパでは長らく「小さな労働力」程度の認識でしかなかく、子供の概念を発見したのが18世紀フランスのルソーだったといわれるほどでした。
乳幼児の死亡率も高く、それゆえに親にはひとりひとり手塩にかけて育てるという発想もあまりなかったそうです。

このあたりの歴史的感覚は私の愛聴するポッドキャスト『コテンラジオ』の「教育の歴史回」に詳しいのでそちらをどうぞ。

啓蒙主義の時代を経て、19世紀ヴィクトリア朝のイギリスは子供教育の先進国と呼ぶべきか、子供の教育という文化が開花した世相があったのは間違いのない事実でしょう。
子供向けの文学や芸術が興隆し、子供をひとりの人間として養育する意識が芽生えた時代でした。

こうした世相がなければ子供は依然としてぞんざいに扱われていたことでしょう。
子供を家族の一員としてCdVにして紹介するという行為は、子供の明確な地位向上を示すものであるわけです。

私はこの小さな歴史のかけらに、人間の認識の変遷をなぞり見る気持ちになります。



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