Episode 5-3 Part 1 終了しました
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Episode 5-3 のストーリーが、当初の想定より随分長くなってしまったので エピソードを3つに分割することにしました。
というわけで、Part 1の終了です。
今回は本当に疲れた( ;∀;)
だいたいいつも2か月くらいのスパンでエピソードを切り上げられるのですが、 今回はあれもこれも描かないと… とどんどん膨らんでいって、丸々3か月かかってしまいました。
その間、殆ど休みなく毎日原稿を描いていて、 疲れが臨界点に達すると、どうしようもなく落ち込んでしまうので 気分のコントロールに難儀しました。
疲れて疲れてひぃこら描いていると、 ふと降りてくるんですよ、魔の暗黒ワード、
"こんなもの描いてて意味あるのか?" と。
こんな漫画描いてて意味あるんだろうか、と自分の漫画の意義が自分でわからず、 無価値なものを延々身骨削って描いているのではないかと思い、 これまでかけた時間も自分の思いも行動も全部無意味なものだったのかなぁ、 と振り返ってとんでもなく落ち込むのです。
こういう思考になってくると、あぁ今疲れてんだなと自分でわかるようになってきて、 ぐっすり寝ればだいたい翌朝にはケロッとするのも経験則でわかるので もうぱっと寝てしまいます。
しかし疲労とネガティブ思考の相関性に気がつくまで 幾度もとんでもない落ち込みをこらえて踏ん張ってきた歴史があります。
私がこの漫画を描くことを通じて得ているものは 忍耐強さと気分の落ち込みへの対処法ではないかとふと思いました。
そんな中で読者の皆様からいただく応援はとても慰められます。
Web Comic Rankingへの投票や、感想のメール等いつもありがとうございます。 気が沈んでどんよりしているときでも、励まされて心が軽くなるようです。
本当にありがとうございます。
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さて今回のお話は、クマイラの目を通して語ることが多かったかなと思います。
いわゆる"普通の女"ではない生き方を選択した彼女を描きたかったのです。
そしてどんな生き方をしている人でも、 社会全体のためにできることがあるはずだと彼女は信じていることを表現したかったのでした。
近年、個人主義的な価値観がおよそ西洋諸国のスタンダートになっていて、 どんな生き方をしようがその人の自由であり、尊重するべきだという風潮です。
結婚のこと、子づくりのこと、あるいは恋愛のことでも、 どんな風に生きるかは個人の自由であるし、大切に尊重されるべきものです。
けれど一方で、昨今のネット上では、自分と違う生き方をしている人への不満や反発が重なって 言葉による攻撃や諍いが発生しているのも散見されます。
このような他者への不寛容は、日本人の特質というより経済状況の先行きの悪さが元凶なのではないかと感じています。
有り余るほどお金を持ってゆとりのある暮らしをしていれば、他者の生き方なんてさっぱり気にならない。 好きにしてくれ、へーい、ってな感じでラフに生きられると思うのですが、 生憎そうではないギスギスした社会においては、余裕のなさはたやすく攻撃性に転じてしまう。
日本はこれからますます貧乏になっていくんだよ、
と私の夫はよく言うのですが、残念ながら私もそう感じています。
ますます貧しくなる社会は、ますます寛容性を失ってしまう。
そもそも個人主義なんていう理想的概念は、物的に豊かになった近現代だからこそ発生しているもので、 環境不安や社会不安に陥った場合たちまち消失してしまうものだと私は考えています。
これから先、人間への寛容性を損なうまでに日本社会が貧しくならないことを願うのですが、 先細りする人口や競争力・技術力の進歩の減速が目に見えているだけにとても心苦しい。
人間の尊厳は経済的な豊かさがあってようやく守られるものだという事実は悲しいことですが、 そういう世界で生きている以上、各自が自衛できるところは自衛し、 また助けが必要な人にはそっと手を差し伸べる寛容さが回りまわって自分を救うことにもなる。
こういう良識的な行動の循環は、それこそ古代から延々と宗教や民話と化して人間に伝え続けられているもので、 現代でも変わらない、そして未来でも変わらない。 なぜなら世の中から不条理は取り払えないから。
人間の宿命ともいうべき不条理が、相変わらず未来でも続いていて、 それに対してどう向き合うのか、というのがこのSF漫画の根底にあるものなのかもしれません。
… というのを、描いていて最近ようやく自覚しました。
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Date: 2017/12/20(水)
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