【 MY NOTE 】

MY NOTE:つれづれと綴るもの。


イエスと安息日  2018/06/12(火)
ペテロの帯剣  2018/06/11(月)
救世主とダビデ王  2018/06/08(金)
ヘロデ・アンティパス  2018/06/06(水)
10年前の伏線  2018/05/19(土)


イエスと安息日

ユダヤ教が戒律がとても仔細で厳格な宗教であることは有名ですが、
中野京子先生によれば、イエスがいた当時で日常生活において守らなければいけない宗教的戒律は600以上あったといいます。


食べ物から日常の生活の所作において事細かく律法で規定されており、
宗教的指導者の立場の者たちが、下々の者たちがそれを正しく守っているか監視していたのです。



ローマの圧政で重税が課され、貧しい庶民はいよいよ貧しく、
疫病も防ぎようがなかった時代。

生きているだけで精一杯なのに、更に宗教的戒律まで厳密に守らないと
周囲の人々から非難され、最悪の場合石打ち等の私刑に遭ってしまうほど。

これでは生きるための約束としての戒律なのか、
戒律のために生きているのか、よくわからない。


社会が貧しく、幸福感が乏しくなってくると、途端に戒律という明文化された正義が力を持ち、
それで他者を厳しく監視し、少しでも違反者がいるとその社会から追い出してしまう。

国が疲弊すると社会のルールに口うるさくなり、他者への寛容性を失うのは別にユダヤ人に限った話ではないと考えます。
日本でも、他の国々でもこういう例は大小繰り返してきました。




ユダヤ教の戒律の中で特に有名なのが安息日で、
週の終わりの安息日には火を起こして煮炊きすることも、無暗に出歩くことも禁止されていました。
ユダヤ教徒にとって、安息日は今でも極めて重要な律法の決まり事です。


しかしその安息日でも、イエスは病人の女を癒したというお話が残されています。

何故かという理由もなく、ただ生きるために彼女にはそれが必要だったからです。

当然イエスは律法学者という宗教的指導者たちから糾弾されます。

しかしイエスは、
人の命に関わることにおいては、規則よりも優先されなければならないと訴えました。



このお話から私が考えることは、
ルールを守ってさえいれば自分は正しい、他人を糾弾する権利もある、と慢心しがちなところが
現代の社会においても多分にあり得るというところです。


イエスは、率先してルールを破れと言っているわけではなく、
場合によってはルールを守れなかった人もいる、
その事情を類推して慮れない心の狭小さを批判していたのです。


今でもルールが大事、ルールを破る奴の存在がまかり通っているのか許せない、という声は
様々な事件やニュースが起こるたびにネット上で飛び交っています。


まあ、わかる。

真面目にルールを順守している人にとってみれば、ルールを守れない人というのは癪に障るものです。

中にはそれこそ本当に利己的でダメな奴だからルールを守らない人もいるけれど、
やむを得ない事情でルールを破ってしまう人もいるのもまたあるでしょう。


一概に事情も類推せず、ダメだダメだと声を荒げているその姿は、
イエスが批判したという律法学者の姿と重なります。


私が好きな『サトコとナダ』の3巻に、ちょうどこの手のお話が描かれてありました。
かわいく明解に表現されています。

http://twitter.com/twi_yon/status/971671886328348672


Date: 2018/06/12(火)


ペテロの帯剣

このコマで暴徒たちが石や木の棒のようなしょぼい武器しか持っていないのは、
当時のエルサレムのようなローマ兵が駐屯していた場所でユダヤ人が武器を持つことを禁止されていたためです。


ユダヤ人が帯剣することは重罪だったはずなのに、
どうしてかイエスの弟子ペテロは剣を持っていた。

(このあたり、安彦良和先生の『イエス』には、密かに剣を買い求めたシーンが描かれています)


ゲッセマネの祈りののち、イエスが逮捕されたとき、
錯乱したペテロは隠し持っていたその剣で、大司祭カヤパの下僕マルコスの耳を切り落としてしまうというエピソードがあります。


レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』で
ペテロは右手に短剣を持っています。(画像2枚目)

この象徴から、彼がペテロであると判別できるのです。

西洋絵画では、描かれた人物が誰であるか判別するための持ち物を持たせることがよくあって、
これが誰なのか、どんな物語が描かれてあるのか判別する知識を持つと
退屈な絵画や生き生きと輝いてきます。


有名な裏切者イスカリオテのユダは、手に銀貨を収めた小袋を持っているため判別がつきます。(画像3枚目)


そもそもイエスから離れるようにのけぞり、顔に強く陰がかかっているため
ぱっと見て ああ彼がユダか、とわかる。

ダ・ヴィンチよりも古い時代の絵画では、
以下の例のように席の手前に一人だけユダが描かれることが多かったため
http://i.pinimg.com/originals/9d/51/0f/9d510fc33720f4ab488d856394f854d0.jpg
誰が裏切りものか様式的にわかるのですが、
ダ・ヴィンチはあえて古い様式を捨て、演出による形でユダを示したかったのだと思います。


ユダは銀貨30枚でイエスを売ったと言われています。
その銀貨が、当時もっとも流通していたデナリ銀貨だったとすると、
1デナリでだいたい庶民の日給分だったそうです。
つまり30日=月給分でイエスを売ったことになる。

一か月分の給料というのが、妙にリアル。



そしてレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でついでに書いておこうと思ったのが、
イエスの右手側にいる人物のこと。(画像4枚目)

ヨハネ伝において、イエスの最も愛した弟子がその胸の一番近くに座ったと書かれています。

イエスの最も愛した弟子がという存在が、ヨハネ伝にしか登場しないため、
使徒ヨハネ=イエスの最も愛した弟子という風に考えられる場合があります。


・使徒ヨハネ
・福音記者ヨハネ
・イエスの最も愛した弟子

この3者はそれぞれ別人だという見解もあれば、すべて同一人物な場合もあり、
絵画における解釈はまちまちです。

ただ伝統的に、イエスに最も近い場所に座っており、
若く美しい姿で描かれているのがヨハネである場合が殆どかと思います。

眠っている姿で描かれることも多く、
ダ・ヴィンチの場合、彼好みの美少年がうとうとしている姿になっていますね。



Date: 2018/06/11(月)


救世主とダビデ王

「救世主」という言葉だけが広く知られていて、我々日本人にはその意味をしみじみ考えたことがあまりないことと思いますが、
ユダヤ人にとって救世主とは、ダビデ王の血筋から現れるものと信じられていました。


旧約聖書『イザヤ書』(イザヤという預言者の書)において、
第11章1節 「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」
と書かれているからです。

エッサイとはダビデ王の父のことで、
"その上に主の霊がとどまる" とはつまり、主=神の意思がそこに降りて救世主となる、と考えられていたのです。


ユダヤ人の王国が最盛期を迎えた紀元前1000年頃のダビデ王、続くソロモン王の時代は、
そののち辛酸をなめつづけた民族にとって、もう一度手にしたい栄光だったのでしょう。

紀元前8世紀頃から民族を救う救世主は偉大なダビデ王の子孫から現れると考え始められたようです。



ユダヤ教においては救世主は未だ現れていないと考える人が大半のようですが、
キリスト教徒にとってはイエスは紛れもない救世主。

イエスの父ヨセフが、ダビデ王の血を引き継ぐ子孫だと 最もらしき説明をして信徒を納得させねばならないのです。


マタイの福音書には、冒頭から延々とこんな記述が続きます。


第1章
1:1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、 1:3ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、 1:4アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、 1:5サルモンはラハブによるボアズの、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、 1:6エッサイはダビデ王の父であった。
ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、 1:7ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、 1:8アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、 1:9ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、 1:10ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、 1:11ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。
1:12バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、 1:13ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、 1:14アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、 1:15エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、 1:16ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。



阿刀田高先生はここで読もうとする心が折れると言っておられましたが、私も折れた。

予備知識がないと聖書を読んでもチンプンカンプンなのはこういう記述が散見されるからです。


そして、イエスの父ヨセフは、単なる大工だったはず。
そんな庶民の家系図が1000年に渡って残されているものか!?

そもそもイエスは神の子で、ヨセフの血なんか継いでいないんじゃないの!?


と現代の視点から見ると冒頭からの聖書の矛盾っぷりにどう考えて良いものか戸惑うばかりですが、
歴史的に合理的な見方をすると、福音書はキリスト教伝道のための書物で、
イエスの疑いない正当性を読む人に納得させることが第一の目的だったと考えられます。

記述の整合性よりも、
イエスという人物がいかに信頼のおける存在であったか、もっともらしい根拠を作り上げることの方が大切だったのでしょう。



さて、ダビデ王は文武両道の人で、
屈強な戦士でもある一方で、竪琴の名手で詩人でもありました。

旧約聖書『詩篇』には、ダビデ王の作と言われている詩もたくさん残されています。

(日本語wiki)http://ja.wikipedia.org/wiki/詩篇
(英語wiki)http://en.wikipedia.org/wiki/Psalms


ダビデ王の像や絵画は無数にありますが、戦士、あるいは詩人としての姿、どちらを選ぶかは
作り手の好みや制作する目的によって決められていたのではないかなと思います。

読者の皆さんも、ダビデ王と題された像や絵画を見るときは、どちらの姿をしているのか心に留めて鑑賞されると楽しいはずです。

Date: 2018/06/08(金)


ヘロデ・アンティパス

漫画の中では福音書の物語の簡単なあらましをジョン・カリストに喋ってもらっている最中ですが、
せっかくなのでそれぞれにちょっと解説を補足しておこうと思います。


ヘロデ・アンティパスはヘロデ大王の息子で、ガリラヤとペレアを支配する「四分封領主」でした。

ヘロデ大王の死後、ユダヤ人の土地がローマ帝国の完全な属州になったのは
大王とは違い、その息子たちには統治の難しいパレスチナを治める能力なしとローマ帝国が判断したためでしょう。

その息子の一人、ヘロデ・アンティパスも、
文献を読んでいても小物でしかない印象です。

イエスの裁判のときも、判断に困ったローマ総督ピラトが、
イエスはガリラヤの出身なのだから、
ガリラヤ領主のヘロデ・アンティパスがその処罰を判断すべきだと彼の下へイエスを送りますが、
ヘロデも自分では処罰を決定せずに、イエスを罵ってピラトに送り返すだけでした。
(この記述はルカ伝による)


このとき、道化のような派手な衣装をイエスに着せて辱めたと言われていますが、
その参考になるような絵画作品を見つけることができませんでした…

高校生の頃、たぶんイタリアの壁画で着飾ってからかわれているイエスの絵を見た記憶があるのですが、
その画家の名前もどこの国の絵画なのか、またどの本で見たものなのかも定かでなく、
小一時間かけてネット上で探してみても思い出せなかったのです。

画家にはあまり魅力のある題材ではなかったのでしょうね。
そもそもヘロデ・アンティパスがイエスを辱めるシーンの絵はあまり描かれていないようです。


ヘロデ・アンティパスはイエスとの関係よりも、
洗礼者ヨハネとの物語の方が画家にとっても遥かに魅力的だったのでしょう。

洗礼者ヨハネとサロメを巡る物語の絵画はたくさん残されています。


洗礼者ヨハネとは、荒野で暮らす隠者でヨルダン川のほとりで人々に洗礼を与えていました。
ルカ伝ではイエスとヨハネは従兄弟同士だったと書かれているほど、
イエスとの強い繋がりを示したかった重要な人物です。

救世主の到来を人々に予言し、イエスに洗礼を授けた人でした。


さて同じ頃、ヘロデ・アンティパスは異母兄弟のヘロデ・フィリッポスの妻へロディアに恋をし、
自身にも妻がいたにも関わらず、両者離婚して再婚するという事態をしでかします。

これがユダヤ教の教えにおいて大変な罪で(日本人でも顰蹙ものですね)
洗礼者ヨハネは姦淫の罪だとヘロデ・アンティパスを批判します。


これに怒ったヘロデ・アンティパスは、洗礼者ヨハネを捕らえて投獄するものの、
高名な聖者であった彼を処刑する度胸もなくダラダラ時を過ごしていました。
(このあたりも小物)

煮え切らない夫に腹を立てた悪妻へロディアは、
自分の娘を利用して洗礼者ヨハネを殺すことにします。


ヘロデ・アンティパスの誕生の祝宴の席で、
へロディアの娘サロメは見事な舞を踊る。

気をよくしたヘロデは、義理の娘に褒美を授けるのでほしいものを言うようにと告げます。

するとサロメは、洗礼者ヨハネの首を盆に載せてほしいという。

仰天したヘロデ・アンティパスでしたが、言ったにひけず、やむなくヨハネの処刑を命じて
サロメにその首を与えました。


クラナッハのこの絵に代表されるように、
ヨハネとサロメの物語は、悪趣味よろしく美しい生首を描く画家の腕自慢のために好まれて描かれたように思います。
(似た題材で美女ユディットのテーマもあります)

http://www.wikiart.org/en/lucas-cranach-the-elder/salome
- Salomé avec la tête de Saint Jean-Baptiste, Lucas Cranach, 1530.


この猟奇的でドラマチックな物語は、19世紀末には更に脚色されて一層人気を得ます。


私はフランスのギュスターヴ・モローが大好きだと大昔からこの日記にも書いていたのですが、
彼の有名作『出現』は、そんな脚色されたサロメ像の先駆けでした。


http://en.wikipedia.org/wiki/L%27Apparition
- The Apparition, Gustave Moreau, 1876.


舞を踊るサロメの指さすところにヨハネの首が浮かび上がる。
これは実際に首が浮かんでいるのではなく、サロメがそういう幻視を見ているのです。


なぜ幻視を見るのか?
サロメとヨハネは見知った関係だったのか?
福音書には両者の関係性を示すことは一切書かれておらず、ただ少女は母の言に従い、ヨハネの首をもらっただけのはず。


このセンセーショナルなサロメの絵は瞬く間に画壇の人気を得て、
モローも複数のバリエーションの絵を描いたほか、他の画家たちもこぞってサロメを描き出しました。


サロメという少女に新しい切り口からスポットが当たったことで、
イギリスのオスカー・ワイルドは1893年に戯曲『サロメ』という問題作を書きました。


サロメは洗礼者ヨハネに恋をして、自ら男に迫るものの(これも当時のイギリスの倫理観からすると顰蹙)
すげなくヨハネに拒絶される。

愛しさあまって憎さ100倍、サロメはヨハネを殺したいと思う。
そして舞を披露し、義父にヨハネの首を自らねだるのです。

そうして授かった首に口づけをして、「ようやくお前を手に入れた」と言う。


この戯曲は聖書の人物を描くのに不適切な内容だと物議を醸して何度も上演中止になったりしたそうです。
一方でここまで大胆な脚色を聖書の人物に加えられるということは、
人々から権威への畏れが薄れつつあった時代であったことも示しています。

19世紀末を代表するような退廃的な作品です。



私がこのワイルドの『サロメ』が好きなのは、
同じく好きな画家オーブリー・ビアズリーが挿絵を描いているからです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Aubrey_Beardsley

当時の印刷技術の限界を逆手に取った、白と黒だけのシンプルな色遣い。
(中間カラーのグレーは安い大量印刷では出しにくかったのです)
線と面の繊細ながらダイナミックな構図がとても魅力的。


日本語訳では岩波文庫から出されている翻訳が、ビアズリーの挿絵も収録されていておススメです。


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ヘロデ・アンティパスの解説から始まって、ちょっと脱線して長くなってしまいました。



Date: 2018/06/06(水)


10年前の伏線

この漫画に長くお付き合いしてくださってる読者さんには忘却の彼方にあるでしょうが(作者も忘れていた)
公安がマークしているカルト宗教があるというのは、Episode 1-2 でケンがチラッと言っていたのです。


実に10年以上経って伏線を回収しました…

うわぁ… なんて気の長い漫画なんだ…



もう古い原稿なんて絵が下手で、自分でまともに見ていられないのです。(;∀;)

薄目で恐る恐るどんなセリフを書いていたか確認するくらいで…


長く描いていると、どうしても絵の変化というか、成長があって
古くなればなるほど自分では正視できません。

ああ 恥ずかしいけど堪忍してください…



この漫画を描き始めて14年目になります。

私は自分でも根気強い性格だと自覚しているのですが、
ようやるなぁ、と本当に自分でも感心するときがあります(笑)


延々ずっと描いてわかったのは、30代に入っても絵は成長するのだということです。

逆に言うと、年齢を理由に挑戦すること、継続させることを諦めるのはもったいない。

苦しくても続けた先にあるものは、きっとかけがえのない確かな自信だと思います。


Date: 2018/05/19(土)


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