アグレッシブなこのコマはなんだよ、と思われた方もいらっしゃるでしょう。
これは辺境で布教活動をしていたイエスがいよいよエルサレムに昇ったとき、 これまで穏やかだった彼が突如、神殿で商売していた商人達に激怒し、彼らの店を破壊するというお話からきています。
イエスがエルサレムに入城したのは過越祭が近づいている時期で、 各地から巡礼者が押し寄せ、お祭り騒ぎのような賑やかさになっていました。
過越祭ではその準備の日に備えて生贄を神殿に捧げるのが習わしでした。
これは既に私もEpisode 5-2 に描いていることなのですが、 旧約聖書『出エジプト記』で神がイスラエルの民とファラオの民を区別するために、 イスラエル人の家の門柱とかもいに雄羊の血を塗り付けるよう言いつけられた故事からきています。
イエスがいた時代においても、出エジプトを記念する過越祭はとても大事なお祭りで、 生贄の血を神殿に捧げることが何より人々にとって重要な宗教行事でした。
そのため生贄用の動物を売るような屋台や、賽銭用の両替商の店がエルサレム中に出回っていたのです。
金持ちは牛や羊、懐寂しい人は鳩などを買い求め、 神殿の生贄の祭壇の場で屠殺して血を捧げたいう…
神社仏閣で血なまぐさいものは禁忌と認識しているような我々日本人には、ちょっと絶句するような光景ですね。
この生贄の風習は野蛮であると支配側のローマ人も感じていたようですが、 広く知られている通り、ローマ帝国は支配地域の宗教・文化・風習には寛大な政策を採っていたので まあやむなし、と看過していたようです。
このような過越の大祭に向けた一年に一度の賑わいがあった中で、 イエスが突如として怒りだして大暴れしたのは、 神殿は祈りの場であって卑しい商売の場ではない、という理由からでした。
そんな滅相な。 日本の神社仏閣の門前町の土産物屋もことごとく破壊されてしまう。
しがない一般人にとって、エルサレムに巡礼して生贄を捧げることは、 お伊勢参りの如く、生涯に一度は行ってみたい憧れの旅路の目標であったはず。
そこまで激怒されて叱責を受けねばならないことか… ?
この珍しいイエス大暴れエピソードの解釈として、 イエスはわざと目立って逮捕されるために屋台を破壊したのだという解釈を読んでなるほどと感心しました。
イエスが暴れれば、当然噂は立ち、敵対者だったサドカイ派の者たちにも伝わってしまう。 彼を逮捕する口実にもなりかねない。 イエスはこれを狙っていたというのです。
イエスの処刑日は、共観福音書と呼ばれるマタイ、マルコ、ルカ伝では過越祭の当日に行われたとあります。
つまりイエスは、ちょうど過越祭の日に処刑されるよう、目的の決行日を決めて逆算しながら行動していたというのです。
そもそもエルサレムに昇れば自分は逮捕され、殺されてしまうとイエスは知っていたし、自ら弟子たちにも伝えていました。
人々の心配や反対を他所にエルサレムに昇ったのは、死にに行くため。 自らが過越祭の生贄となって神にその犠牲を捧げるために、きっちり予定を立てて行動していたというのです。
阿刀田高先生も、本件のイエスの行動について、 フランスのフレデリック・フォーサイスの小説、『ジャッカルの日』 のたとえを用いて論述されていました。
小説の中で殺し屋ジャッカルは、作戦の決行日を先に決め、それに合わせて逆算して予定の行動を進めていた。 それを刑事ルベルは見抜く…
なぜルベルはジャッカルが予定日から逆算して行動していると気が付いたのか?
彼はフランス人、恐らく伝統的なカトリック教徒だろう。 さすれば、イエスの行動を幼い頃から教え込まれ、覚え込んでいたに違いない。
その行動のひとつひとつが、目的の日のために計算されたものだと気が付いたのだ…
というのが阿刀田先生の見解です。
ところで、4つの福音書の中でヨハネ伝だけはイエスの処刑は過越祭の前日にあったと書かれています。
共観福音書とヨハネ伝が分けて扱われることが多いのは、 ヨハネ伝が最も執筆された年代が新しく、他の3つの福音書と重複していない記述が多いこと、 独自の描写も多く、かなり脚色された点が多いことなどが理由です。
エヴァンゲリオンのせいで変に有名になってしまったロンギヌスの槍も、ヨハネ伝にしか登場しません。
これは、十字架の上で息を引き取ったイエスが本当に死んでいるか確認するため槍で胸を突いたところ、 血が流れだしてきた、という記述に由来します。(ヨハネ伝19章34節)
過越祭の前日というのは、出エジプト記で言うところの門柱とかもいに雄羊の血を塗り付けた日でもあり、 わざわざこのイエスの血な流れるという描写を加えたのは、 イエス自身が過越祭の生贄だったと強調するための文学的脚色ではないのか、という解釈を読んでこれまた感心しました。
イエスの胸に傷かつけられたという記述はヨハネ伝にしかないものの、 磔刑図やその他イエスの絵画ではよく胸元に傷が描き込まれています。
ヨハネ伝20章の24節〜28節には、 イエスの復活をにわかに信じられない弟子のトマスに対して、 イエスがその胸の傷に指を入れてみよという記述があります。
『聖トマスの懐疑 』 (Incredulita di san Tommaso) というカラヴァッジョの作品が、これを描いたものの中で最も有名でしょう。 http://www.salvastyle.com/menu_baroque/caravaggio_tommaso.html
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Date: 2018/07/01(日)
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